亡き御英霊から、生き様を問いかけられることこそ

               

                          戦死の公報     酒井 勝彦  (古市 宗玄寺)

 

戦後60年以上も経つと、遺族も年々少なくなって、家族が戦死したことの想いも薄らいで来ているのでは?と感じるような場面があります。

 篠山市では、毎月8日に戦死者の祥月命日の法要が、遺族会と仏教会とで行われ、私も一年に一度ほど当番が当たって法要のお勤めをします。

 読経の後は30分ばかりの法話があるのです。もちろん、その法話も当番の僧侶の役目ですから、各宗派毎に多少趣が異なるのでしょうが、残念ながら他宗派のご法話に出合うことはありません。

 2004年6月の当番に当たって、今年は一つの資料を持参して臨みました。それは、タンスの奥に大切にしまわれていた「戦死の公報」です。正式には「死亡告知書(公報)」と言います。

 実は、私は本来が寺の跡継ぎではなくて、戦争が私を寺の跡継ぎにしました。女・女・女と三人が生まれ、四人目にやっと出来た男の子だったので、祖父は「男なり」という感激からか、「男也」(おなり)と名付けたのは、私の母の弟でした。学校を出て、小学校の代用教員を勤めながら、祖父の手伝いをしていました。そこへ召集令状が来たのです。                                             もっと見る